今週は、国宝 願成寺 白水阿弥陀堂に行ってきました。沿革、願成寺国宝白水阿弥陀堂は、今を去る八百三十八有余年、人皇二条天皇の御宇、永暦元年(1160)三月、鎮守府将軍藤原清衡の娘であった岩城の国守岩城太夫則道公の夫人徳姫が、茲白水に霊地を得て一寺を建立し、無量寿院願成寺と称し、大徳の智徳上人を第一世として住持された。 (写真の説明 阿弥陀堂を正面から撮影したものです。この阿弥陀堂のなかに持国天王、観世音菩薩、本尊阿弥陀如来、勢至菩薩、多聞天王がある。)
姫は則道公の歿後、智徳上人にを帰依し、剃髪して徳尼御前とよばれ、亡夫の冥福を祈らんがため、この地を選んで阿弥陀堂を創立したのである。御堂の両側には広大な浄土庭園が造営され、今日その復原をみたのである。 (写真の説明 この池は二つの橋を中心に東西に心の字に広がり、広い部分だと東西150米南北110米、池には小島や州浜もある。池の中心部の参道に当たる中島にかけられた二つ朱塗りの橋の上から覗き込む方、池の中にはたくさんのこいがおよいでいる。)
往古より朝下の信任厚く、後鳥羽院の御宇には願成寺を勅願寺とせられ、また、鎌倉右大将頼朝公の帰依深く、幕府より寺領三百石を授けられた。その後江戸時代に至っては、慶安元年七月十七日、徳川三代将軍家光公より、以後歴代将軍家より阿弥陀堂に十石の御朱印状を授与されたのである。白水の地名は、徳姫の故郷奥州平泉の泉を分字して白水と名付けたと伝えられている。 (写真の説明 当日、七五三のお参りにきていたお母さんと子供たち。) 文章は阿弥陀堂拝観券より。管理事務所0246−26−7008 場所 いわき市内郷白水町広畑219
さて、今週の問題です。この庭園は何庭園でしょう?正解者には抽選ですてきな賞品をさし上げます。
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