今週は 吹く風を なこその関と思えども 道もせにちる山桜かな 源 義家 の歌で有名な勿来の関へ行ってきました。勿来の関の歴史-白河(福島県白河市)、念珠(山形県西田川郡)とともに、奥州三古関に数えられる勿来の関。古くは菊多せき(いわき市南部の古名)と呼ばれていたこの関は、”勿来(来る勿れ)”の名が示すように、蝦夷の南下を防ぐために石城国の海道南端に築かれました。関所らしきものが最初に設置されたのは五世紀の初め頃とみられています。現在の福島県・茨城県境辺りの地に”菊多せき”の名称による関が設けられたのは、養老二年(718)常陸国(茨城県)多珂郡から菊多以北を割いて石城国が築かれてからのことだと考えられています。しかし、その期間は短く、とくに弘仁二年(811)、浜街道の駅路が廃され、奥州の玄関口が白河関に移行してからは、関所としての機能はほとんど果たされなかったといわれています。
勿来関文学歴史館内には、関の由来をはじめ、源義家に関する貴重な資料や歌人・文人の作品がパネルによって解説されているほか旅風俗、浜街道に関する展示品も数多く紹介されています。時を越えて甦る歴史遺産の数々がここを訪れた人々を、ひとときの浪漫の旅へと誘います。
歌人・文人を誘った勿来の関 勿来の関は、その語呂の良さと、最果ての地というイメージが、古来、小野小町や紀貫之ら歌人たちの歌心をさそい、数多くの歌に詠み込まれています。なかでも、平安時代の後期に活躍した武将・源義家(八幡太郎)が奥州を平定し、都へ帰る途中、春爛漫の関跡の辺りを通りかかった時に詠んだ歌が、この地を一躍有名にしたともいえるでしょう。近代においても田山花袋、幸田露伴、徳富蘆花、内村鑑三、斎藤茂吉など、数多くの文人たちがこの地を訪れ、それぞれの思いを込めた名作を残しています。(撮影協力 財 いわき観光公社) 文章はパンフレットより 場所福島県いわき市勿来町関田長沢6の1 電話0246-65-6166
さて今週の問題です。この遊園地はどこでしょう?
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