日動火災いわき中央代理店より観光案内その7


いわき市新名所と八幡神社

 今週は観光案内その7として源義家公の新しい銅像ができたという案内です。5月26日いわき市のJR勿来駅前広場に「吹く風をなこその関と思えども道もせに散る山桜かな」と和歌に詠んだ清和源氏の武将・源義家公(通称、八幡太郎)の姿をよみがえらせたということです。作者は、いわき市出身で東京芸術大学美術学部助教授の北郷悟氏、像は「勿来の関」にある武者姿とは違い落ち着いた感じに作られております。    では、源義家とはどのような方だったのか岩波書店の日本史辞典によりますと「源義家 1039-1106(長暦3-嘉承1.7.4)平安末期の武将。河内源氏頼義の子。岩清水八幡宮で元服し八幡太郎と号す。父に従い前九年合戦に参戦、出羽守となる。以後諸国の受領を歴任し、反乱鎮圧や悪僧の防御にも活躍。1083(永保3)陸奥守として豪族清原氏の内紛(後三年合戦)に介入するが、朝廷から私戦とみなされ、恩賞もなかった。91(寛治5)弟義綱と京で合戦を企て、義家のみ諸国からの荘園寄進の禁止等の処罰を受ける。98(承徳2)白河院の昇殿を許されるが、1101(康和3)嫡男義親が濫行する等、一族の不祥事が相次ぐ中で死去した。」    皆さんも戦国武将の中にこの方の末裔がたくさん居られるのはご存知のはず。(左の写真が義家公)そこでと言ってはなんですが八幡神社の案内。右の写真は義家公ゆかりの神社「植田八幡神社」です。由緒は、御冷泉天皇の時代、康平五年源頼義、義家が勅命を奉じて安部二任征伐のおり鎌倉の鶴岡を始めとして街道五里ごとに神社を建立、岩清水八幡の分霊を勧請し浜街道永遠の鎮護を祈念した、その一社が植田八幡で俗に五里八幡と称される。西暦1062建立と言うことです。いわき市1000年の歴史をお参りしますと感じますね。五里八幡に関しては随時掲載します。植田八幡神社の場所はJR植田駅の歩いて10分ぐらいのところです。

さて、今週の問題です。この神社はどこにあるでしょう。ヒント浜通りでも屈指の神社です。(写真の場所には系図が掲示されています。)


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