謹賀新年


 明けましておめでとうございます。本年もよろしくおねがい申し上げます。というわけで小名浜港へ御来光を拝みに行ったのですが雲間からチラリでした。今年は景気がよくなるようにお願いしたところです。


八幡様へお参り

 毎年、市内の八幡様へ初詣に行っていたのですが、今年は、全国に八幡神社を広めた源義家公(八幡様)の銅像がある勿来駅前に取材に行ってきました。一昨年の5月26日いわき市のJR勿来駅前広場に「吹く風をなこその関と思えども道もせに散る山桜かな」と和歌に詠んだ清和源氏の武将・源義家公(通称、八幡太郎)の姿をよみがえらせたということです。作者は、いわき市出身で東京芸術大学美術学部助教授の北郷悟氏、像は「勿来の関」にある武者姿とは違い落ち着いた感じに作られております。では、源義家とはどのような方だったのか岩波書店の日本史辞典によりますと「源義家 1039-1106(長暦3-嘉承1.7.4)平安末期の武将。河内源氏頼義の子。石清水八幡宮で元服し八幡太郎と号す。父に従い前九年合戦に参戦、出羽守となる。以後諸国の受領を歴任し、反乱鎮圧や悪僧の防御にも活躍。1083(永保3)陸奥守として豪族清原氏の内紛(後三年合戦)に介入するが、朝廷から私戦とみなされ、恩賞もなかった。91(寛治5)弟義綱と京で合戦を企て、義家のみ諸国からの荘園寄進の禁止等の処罰を受ける。98(承徳2)白河院の昇殿を許されるが、1101(康和3)嫡男義親が濫行する等、一族の不祥事が相次ぐ中で死去した。」 皆さんも戦国武将の中にこの方の末裔がたくさん居られるのはご存知のはず。(下の写真が義家公)。あるテレビ番組では源氏の末裔でなければ征夷大将軍にはなれぬと放送していましたがその源氏とはこの八幡太郎義家公のことです。昔から、武家の神様と崇められている方で、自ら先陣をきり得意の弓でバタバタと敵をたおして行ったそうな。ちなみに平家の軍勢が八幡様が戦場に出てくると「八幡様とは戦えぬ」と言い残して戦場から退散してしっまたということです。日本史上最強の源氏と云われる所以です。


さて、今週の問題です。映像の神社はどこの神社でしょう。


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